Postscript for « La ville de Morioka » /『盛岡の町』あとがき

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フランス語を先行とした文章の作成について: (The English message is below.)

執筆のお話をいただいた当初は、日本語の文章を作った後で、海外の関係の方々にもなるべく広く読んでもらえるよう、英語またはフランス語の訳を付けるつもりでいました。

しかし日本語という母語を使って、盛岡について書こうとしたとき、想いが強すぎたり、言いたいことが多かったりと、まとまった内容にするのが難しかったため、今回、このような試みをしました。 (全くの偶然で、その動機も内容も比べることなどできませんが、 最近まで盛岡でも公開中された「息の跡」を観たとき、その中で描かれる佐藤さんの挑戦に通じるものを感じました。)

フランス語は自分にとって最も難しい学習言語ですが、大好きな盛岡を、文化や生活に隔たりのある世界のどこかへ向けて(つまり読み手に外国 人を想定して)書き表すことは、対象を突き放すことでもあり、また、ただ一人の祈りのようでもありました。 特に、フランス語がこのテーマにこれほど向いているとは、自分にとっても新発見でした。

機会をくださいました、リズムクローゼットの中村さんに感謝いたします。 また、いつも心にある盛岡の皆様へ、その暮らしと息の跡に、尊敬と愛を込めて。

内田智子

 

When Kenichi first gave me the idea of writing an essay, I simply planned to write it in Japanese and translate it into English or French later for the foreign readers. But I changed this plan because I found that it was too difficult to write about Morioka, my favorite place, in my mother language. My thoughts for this city flooded out and never seemed to take shape.

French is the most difficult language for me but it fits for this case to focus on what I want to say the most and to make some form for it. I think foreign languages can help us because of their difficulty when we need to tell the others something composed with the full of long thoughts and that’s why I could never give up totally learning them.

I appreciate Kenichi giving me this chance and many thanks to the foreign readers, and of course, love for Morioka, everyone who lives there.

Tomoko
@uneunu on Twitter

La ville de Morioka / 盛岡の町

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La ville de Morioka
(ページ下に日本語が続きます。)

Située à 500 kilomètres au nord-est de Tokyo, la ville de Morioka a un charme tellement irrésistible que je ne peux m’empêcher d’y aller souvent. Je m’y suis plus souvent rendue qu’à la maison de mon père, depuis mon déménagement à Tokyo.
Je n’ai jamais habité à Morioka en fait, mais comme il y avait la maison de ma grand-mère, mes parents m’y ont amenée plusieurs fois depuis que j’étais petite. Je suis sûre d’avoir senti la rizière, le champ de légumes, le vent passant à travers la vieille maison et même le glissement de la porte à coulisse me faire bon accueil.
Si le paysage de la campagne est assez agréable, le centre-ville est rempli de culture philosophique. Plusieurs anciens beaux bâtiments vous accueillent, ainsi que les deux rivières. Quand du haut du pont je regarde couler ces deux rivières, j’imagine sans peine la vie que mènent les gens ici. L’onde des deux rivières est encore pure lorsqu’elle arrive dans le centre animé de la ville. Les cafés, les petits magasins, les librairies et les petits musées privés bordent les quais et les rues voisines. On imagine aisément le paysage du temps jadis quand on contemple celui d’aujourd’hui. Les maisons étaient faites de bois ou de briques et les rues étaient pleines de voitures tirées par les chevaux. On éprouve ici un sentiment de beauté éternelle.

Tout est beau et encore mystérieux. Il est difficile de savoir si le paysage d’ici est bien asiatique ou plutôt européen. On imagine que la vie doit être assez simple dans ces lieux, parce que le froid y est sévère en hiver et que parfois surviennent d’importants séismes. Les gens d’ici les endurent avec patience et peuvent aussi s’en amuser. Je pense que, les gens recherchent toujours quelque chose silencieusement, ici.

Cette impression me débarrasse de ma crainte inutile et me fait revenir à ce que je veux savoir. Je me demande, devant ce paysage, quelles peuvent bien être les différentes manières de vivre pour un homme, mais aussi ce que les gens d’ici recherchent dans ce lieu.

 

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盛岡の町

東京から 500km 北東に位置する盛岡市は、私がしばしば訪れずにはいられないほど抗いがたい魅力を持っている。東京に引っ越して以来、訪問した数は、実家に帰省した回数を越えている。
私自身は、盛岡に住んだことはない。ただ祖母の家があったため、小さい頃から何度も両親に連れて行ってもらっていた。田んぼに野菜畑、古い家を通り抜ける風や、引き戸の滑りまでも、私を歓迎しているのが確かに感じられた。
田舎らしい風景もいいものだが、町の中心部の方は哲学的な文化に満ちている。いくつもの古く美しい建物と、次いで二つの川に迎え入れられる。橋の上から川の流れを眺めていると、ここに住む人々の暮らしが自然とうかがえる。二つの川の流れは、にぎやかな町の中心部まで達しているにもかかわらず、澄んだままだ。喫茶店、小さな商店、書店に、小さな私設の美術館が、岸部と近接する道を縁どっている。今ある風景を見つめれば、昔の風景がたやすく思い描かれる。建物は木造またはレンガで出来ており、道には馬車がいっぱい引かれていた。ここでは悠久の美しさを感じとることができる。

全てが美しく、また神秘的だ。ここの風景がいかにもアジア的か、むしろヨーロッパ的かを判断することは難しい。冬には寒さが厳しく、度たび甚大な地震災害を生き抜いてきたこの地域では、 生活はごくシンプルなものにならざるを得ないように思われる。ここにいる人々は忍耐強くそれらに耐え、また自ら楽しんでいくことができる。ここでは、人々はいつも静かに何かを探しているように思う。

この印象は私の不要な恐れを取り払い、私が知りたいことへと立ち返らせる。この風景を前に、 私は自問する― 人にはいったいどのような違う生き方があり得るだろうか、また、ここの人々は 日々何を探しているのだろう―と。

 

文:内田智子(Tomoko Uchida)
仙台市出身。フランス文学で修士号取得、博士課程中退。
Maîtrise de la Littérature Française. Amoureuse de Morioka.

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季節の折に、お店に来てくださる東京在住の内田さん。
大学でフランス語を専攻していたということで、とある戯曲の論文を拝読させて頂いた機会がありました。
凛とした言葉を構築的に組み上げた硬質な文章で、戯曲の秘められた意味を精密に描かれていました。それは宗教画を謎解く如く興味深い内容で、私としてもなにか感覚的なところで共鳴したこともあり、ぜひ好きなことを書いてくれませんか、とお願いしたところ、こよなく愛する盛岡への想いをフランス語で書いてくださいました。

最近思うことのひとつとして、その背後に潜むものにフォーカスしていきたいということがあります。そういう意味で、この内田さんの文章は、この場において確かな意味を持っています。私が素敵だな、と感じる存在には、必ずと言っていいほど故郷の記憶が背景としてありました。光と陰、色、匂い、触れた感触、産毛に伝わる気配、、、それはすべてのことに通じ、私の選んだ洋服にも強く結びついています。そして、あなたが何気無く手に取った洋服にも、あなたの記憶が作用しているはずです。

趣のある建物と橋、光る川、雄大なる山々。澄み切った空気の粒子、その匂い。ゆっくりと流れる時間。彼女がそう感じたように、ノスタルジックなこの地には、自問自答させるなにかがあるのかもしれません。
なにしろ、この町の其処此処に佇んでいる立像が、如実にそれを表現しているのだから。

 

末文、写真:中村憲一(Kenichi.Nakamura)